1. 東洋経済プロモーション
  2. ブログ
  3. マーケティングの歴史①:マーケティングの「発見」

ブログ

マーケティングの歴史①:マーケティングの「発見」

マーケティングの歴史①:マーケティングの「発見」マーケティングの歴史①:マーケティングの「発見」
こんにちは。東洋経済ブランドスタジオの経済・ビジネスコラム。今回からシリーズで「マーケティングの歴史」をお届けします。
企業や広告会社で日々マーケティングに取り組んでおられる方も、どのように「マーケティング」という分野が発展してきたのか、あまりご存じない方も多いのではないでしょうか。自社や自社クライアントのマーケティングを実行する際の、考え方のヒントになれば幸いです。
今回はマーケティングが「発見」されるまでの歩みです。

マーケティング登場以前

マーケティングの登場は20世紀以降のことで、比較的新しい学術分野になります。20世紀以前、現在はマーケティングの領域とされる事柄は経済学の一部として議論されていました。
18世紀から19世紀にかけて、A.スミスやD.リカード、J.S.ミル、A.マーシャルといった著名な経済学者が、著作の中でマーケティング的な考察を行っています。
例えばJ.S.ミルは、『経済学原理(Princilples of Political Economoy)』(1848年)の中で、商人が需要がない場所から需要がある場所に物品を移動させることで「効用を高めることができる」としています。効用とは経済用語で、消費者が財やサービスを消費することで得ることができる満足度のことです。物品は、運ぶ労働に比例して高い価格で販売されますが、効用が高まるため、流通は生産と同じだけの価値があるとミルは考えたわけです。
伝統的に欧州では、物品を運ぶだけで商品の価格を何倍にも釣り上げて販売する商人は強欲で卑しく、無から有を作り上げる生産こそが価値があると考えられていました。ミルはこのような伝統的な概念を排し、「生産は物を作り出すだけでなく、効用もつくり出す」としました。この効用の概念は後にマーケティングが発展するうえで、非常に重要な考えでした。

マーケティングの「発見」

ミルが述べたように、流通は物品に価値をもたらすと認識されていましたが、伝統的な経済学では主要な関心は生産活動、そして生産を行うために必要な土地、労働、資本の3つにありました。生産活動を基本に経済学の研究が行われ、市場流通には関心が向けられてこなかったのです。この状況が19世紀末から20世紀初頭にかけて変わっていくことになります。

米国では1880年代から移民が急増しました。1901年から10年の間がピークで、この時期に約880万人が米国に移住しました。そのうち約9割は欧州からの移民でした。
移民の増加により都市人口が増加し、都市での食品や消費財をはじめ商品の需要が高まりました。また、鉄道や冷凍船といった都市と都市、地域と地域を結ぶ輸送技術や保管技術が確立され、商業や流通への関心が高まっていきました。
当時は商品をA地点からB地点に運び販売すること、つまり需要がある場所で商品を販売することが「マーケティング」であるとされていました。ところが、19世紀末から米国では競争の激化から、販売員の強化、中間商人への排他的販売の働きかけ、広告など、需要を作り出すことが始まりました。1893年の恐慌以降は、広告に加えて製品の差別化や販促活動などが主流になっていき、これらの活動も「マーケティング」だと見みなされるようになっていきました

この時代に、マーケティングは経済学から独立して独自の学問領域と見なされるようになっていきます。初めてマーケティング論を確立したのは、米ハーバード大学で経済学を学んだA.W.ショーとされています。
ショーは1911年から1916年間の間に発表した3つの論文の中で、マーケティングを合理化するため、市場を地域別・階層別に分析し、目の前の需要を喚起するだけでなく、長期的な目的から販売政策を策定する必要があり、そのために企業は流通の実験的研究を行うべきだと提唱しました。
また、生産者がすでに他社が製品化している商品を開発する場合、軽微な改善をすることにより有利な価格で需要を掘り起こすことができる可能性があるとも述べています。
このようなショーの論説は、現代的なマーケティングの基礎的な発想を先取りしていると評価されます。

なぜマーケティング論は生まれたのか

1920年代に発表された論説で重要なものが、F.E.クラークの『マーケティングの原理(Principles of Marketing)』(1922年)です。
本書の中でクラークは、マーケティング論の登場には、生産技術の進歩と生産コストの低下によって人々の購買力に余剰力が生み出されたことが背景としてあると説明しました。
基本的欲求が満たされた人々の購買力は、生活必需品以外の奢侈品や便宜品に向かいます。するとこれらの製品・サービスの生産者が増加し、競争が激化します。生産者は生き残りのために、製品・サービスの需要を創造すると同時に、自分たちの製品・サービスに対する好ましい注目を得られるようにする必要がある、と述べました。
クラークはまた、需要創造の目的は需要の方向性を統制すること、つまり売り手が買い手に対して製品・サービスの特徴を伝えることにあるとしました。それには
①満足度の高い消費者のレビュー
②販売員のセールス
③言葉、ロゴ、絵などを印刷した広告

という3つの手法があると述べています。

まとめ

英語の“Marketing”は、現代的な意味でのマーケティング以外に「流通」という意味も含みます。「流通」と聞くと現代では工場から倉庫、小売店に製品が流れるプロセスをイメージします。
しかし本記事で見てきたように、Marketingは「需要がある場所に物品を届ける」ことが本来の意味に近いのです。
それが、人々の需要が必需品以外の商品・サービスに拡大していく過程で、需要の掘り起こしや好意的なイメージの獲得といった現代的なマーケティング活動を指すようになっていったというわけです。
次回は1920年以降の現代につながるマーケティング論の発展を見ていきたいと思います。

参考文献
『マーケティング論の史的展開と新潮流』 同文舘出版 2024年2月20日初版発行 関根孝
「米国の移民」 2023年3月 日本貿易振興会海外調査部
https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F11508215&contentNo=1
「A.W.Shawの現代マーケティング論の根本問題」 堀越比志 三田商学研究Vol58, No.2,P45-54 慶應技術大学出版会 2015
https://core.ac.uk/download/pdf/145784525.pdf