広告主の「アツすぎる片思い」の弊害

広告主の「アツすぎる片思い」の弊害

新井泰嗣

 前回、「広告も面白ければ読まれる」と書きまして、それに付随した話をしたいと思います。若干上から目線で語りますがご容赦くださいませ。

 まず繰り返しですが、記事広告は面白くなければ読まれないわけです。そうなってしまうのは、私たちが面白いものをつくれていない、ということもありますが、広告主の読者に対する一方的な「片思い」も一因と考えています。

 広告主は、自社製品を多くの読者に、多くの情報量をもって届けたいわけです。自分のことをもっと知ってほしい、深くつながり合いたい、と。担当者は自社製品に自信があり、アツい思いを持っています。ただ、そのアツい思いをストレートに伝えても、読者は「知らんがな」という状態で、ひどいときにはがっかりされます。「あぁ、なんだよ、広告かよ」と。

 

家電芸人の製品紹介が理想

 バラエティー番組で「家電芸人」たちが家電について熱く語っていますよね。あの番組で取り上げられると売り上げは伸びるそうです。このポイントは、芸人たちに裁量があることだと、私は考えています。

 広告ではないですから、芸人たちは自分が伝えたいことを自由に伝えられます。「AとBの機能性を、全体の5割入れて話して」なんて広告主から依頼が入ることはありません。自分が思う製品の良さを紹介しつつ、自身のネタやトーク力を生かしながら全体をつくりあげていきます。

 その結果、コンテンツとしての面白さを確保しつつ、自分の好きな製品について過不足なく語るということが実現されるわけです。視聴者は芸人たちのトークに引き込まれ、製品についての情報を半ば強制的に刷り込まれますが、そこでがっかりすることはありません。

 とても理想的な製品紹介だと思います。

 このような製品紹介を東洋経済オンラインで展開するために、私たちから広告主の皆さんにお願いしたいのは、私たちの腕を信じてほしい、ということです。

 広告ディレクターは、家電芸人ほどのトーク力とプレゼン力は持ち合わせていませんが、プロとしての企画力と文章構成力はあります。笑いを取るすべは知りませんが、読者が面白いと思うツボはつかんでいます。

 なぜこんなことを言うかというと、まれに、広告主の「過剰な要望」のために、私たちが面白いと思った要素が打ち消され、結果的にいいものにならないということが起こるからです。その時の望みはかなえたかもしれませんが、コンテンツとしてはつまらないものになり、多くの読者には広がらず、読んだ読者にはがっかりされる――。それでは、あまりにも悲しいです。

 「信じてほしい」なんて大げさに言いましたが、簡単に言えば、広告主と私たちが一緒になって1つのコンテンツをつくっていく、そんなスタンスがあれば十分です。「アツい思い」は私たちにぶつけていただいて、コンテンツは私たちのフィルターを通して企画・構成していく。そうすることで、広告主の要望と読者への面白さが結び付き、理想的な記事広告に近づくと考えています。関係者の全員がハッピーになれるならそれに越したことはないですからね。

 

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